スコーン。

ほんとうは何もいらないんだ。この空のように。ただこのホシにいるにはカタチがいるんだ。ひとつだけカタチにおさまりながら自由に身軽にいればいいのに満タンにしようともっともっととつめこむ。カタチを保とうとするのか、不安なのか、重くホシからはなれないためか。わたしだけがひとつ中にいればいい。あとはいらない。持たなくていい。スコーンとぬけて空高く。

線をひく。

線をひく。ひたすらに線をひく。日々の仕事や家事や、気持ちや感情や、身の回りを取り囲む見えないものや、過去や、現在や、未来や。ぴ!と線をひく。ただ、ひくだけでいい。ぴ!まっすぐ、そこにひく。ぴ!そう、迷わないために。くねくねにならないように。自分という殻をカタチ作るために。進む道を決めるために。行き着く先を決めるために。ぴ!、、とひく。

変わる景色、目に映るもの。

見える景色が変わったこのごろ。普段は観光客でいっぱい、高齢化率も高いからお年寄りも多く見かける我が町。それが謎の感染病流行で出歩く外国人観光客やご老人をパタっと見なくなった。かわりに、平日の昼間、若い子たちがたくさん歩いている。中高生だろう。仲間たち数人のグループが、あちこちに。みんな私服で、楽しそうに話しながら。中学男子?はチャリンコで数人で走っている。どの顔も、明るく笑顔。雰囲気もゆったり。世間はコロナ騒ぎで、春休みを迎える前に学校は休校、イベントは自粛、店は品切れ続出、海外の国々では外出禁止令さえ出ている。本当は外出も控えるべきなんだろうけど、この笑顔輝く子どもたちをみているとなんだか安心する。なぜか?それは、これが本来の子どもの姿だから。どんなに世間が大変になっていても若いエネルギーはあふれでる。普段は学校、勉強、部活、塾、習い事、、、いろんなものに縛られて毎日大忙し。きっと遊ぶ暇を作るのも、時間をやりくりしてるのでは?それが今はそのような場が強制的に閉められ、かわりに彼らにとっては自由な時間となった。やることないし、ひまだし、家にいてもつまらないし、かと言って、映画やカラオケ、室内での集まりもできない。じゃあどうする?外行く?そんな感じなのかな?やらなければいけなかったことから解放されている今、思い思いに仲間たちと過ごしている彼らの姿、軽快で輝くエネルギーを感じて、これを...

太陽のまわりにあるものは。

太陽のまわりに光るものをコロナという。コロナウイルスは、その形状が似ているからついた名前らしい。未知のウイルスで世界中で大流行、人々は怖れ、振り回され、さまざまな混乱がおきている。症状の出方も軽い重い、人によるようで、うつったら、かかったら、うつしたら、わからないだけに厄介。さらには発生するたびに実例が報道される。近く接触した人まで含めてまるで犯人探しのよう。たしかに怖いよ。でもそんなに悪いことなのか?基本的なこと、手洗い、うがい、マスクなどするのはもちろんだけど、信じる気持ちも持っていたい。自分の免疫力、抵抗力、身体。あなたの、家族の、周りの人達の。母が家の中の太陽なら、太陽のまわりに光るコロナがあるなら、そこには母が出す光るものもある。母が大丈夫!と信じれば、それは遺伝子にのってその光にのって子の、家族の、遺伝子に感染する。母の免疫力、抵抗力は強いのだ。大丈夫!のパワーで、ウイルスなんて寄せつけないくらい、母の光で包み込め。どんな時も、どんなことも、母の光は強く、時空も超えて、遺伝子につながる。だから、大丈夫なのだ。

ココロの足もとをすくわれそうなとき。

…… どうにもココロが立ち上がれない時、このままでは深淵に落ちていってしまいそうな時、ココロもアタマもいったん止める。肌で髪で、ただ自然を感じる。花の声を聞き、木のゆらぎに触れ、空の粒を吸い込み、大地と会話する。光が身体をすり抜け、影は静かに微笑む。ただただ、宇宙に溶け込み漂う。それでいい。

真の己と役割り。

忘れるな。この世界で果たしている"役割り"があっても、己の中にある、真の自分の創造性を。半分になって合わさって、半分になって合わさって、、、を繰り返し、つないできた螺旋の中にあるそのただ一つ。天と地をなんども行きつ戻りつしてなお、わすれないそのただ一つ。その創造性をいまこそ発揮させよ。そのまま継いでゆくのではなく、望みを叶えたかたちでバトンをわたせ。真の己をつなげてゆけ。

カガミにうつるものは。

カガミにうつるものは。このところ、身近な人や知人の、直接間接の言葉から、痛いところを突かれることがあった。しかし、それは、自分がいままで見ないことにしたり、逃げていたり、言い訳したりしていたことの現れで、普段ならかちん!と怒ったり、へこんだり、ごまかしたり、あきらめたりしていた。でも、今回はなんか違う感じ方、受け取り方が。言われて確かに痛いのだけど、そこにある一言が、確信をついていることに気づく。いつもなら攻撃されているか、他人事か、と感じていたが、実はそこに期待や応援があったり、見透かされている真実の姿を言われたり。そうか、目の前のその人は自分を映し出す鏡。痛い一言や態度は、自らが発しているもの。同じ言動を世界に対して表しているから、相手がそれを映しているのだ。相手を羨ましく思ったり、蔑んだり。なぜそこに引っかかるのか?相手からの言葉や態度に引っかかるものがあれば、自らをまず振り返れ。カチンとくるときは、同じものを発していないか?凹む時は、逃げたりごまかしたりしていないか?羨ましいときは、自分の夢や希望をあきらめていないか?蔑むときは、自分を大切にあつかっているか?波立つ感情にゆられても、ことばの風にあおられても、自分という小舟の舵は波にも風にもまっすぐたてて進んでいこう。かならず光にたどり着けるから。