↓スマホ待ち受けのスクショ画面。
Cafeteria Prism ~カフェテリア プリズム
ほっと一息、"空想" 上のカフェ✨
子ども時代に戻ってやり直したい、とか、あの時まで戻って選び直したい、とか、「スライディング・ドア」や「素敵な選TAXI」などもしもあの時その時の選択がこっちだったらその後はどう変わっていたのか、という映画やドラマ、とか、果たして今の自分はそれについてどう思うか?若い頃はそんなことよく考えては悔やんだり情けなくなったりしたけど、今は思わない。戻りたいとも思わないし、もう一度そこからやり直したいとも思わない。なんでかな?若い時はたとえやり直せなくても、そこから先の未来への道はたくさんあった。好きなだけ選べた中から、一番ではなかったかもしれないけど、妥協したり、いい加減だったかもしれないけど、その時の自分が考えて選んだ方向に進んできた。そして今ここにいる。目の前にあるのは数えるほどの道筋。いや、まだまだたくさんあるのかもしれない。道はないかもしれない。ただ見えるのが見える方角がクリアになったのだと思う。だからここからはただひたすらに前に向かって進むだけ。戻らない、進む。
穏やかな春の週末。久しぶりに庭仕事、草取りだけど。名前はあるのに雑草、と呼んでしまう草たち。それぞれに新芽若芽が青々と、小さく伸び始めている。
春の世界は色にあふれていて鳥の歌声で賑やかなのに、モノトーンに見える音のない世界に感じるのはなぜ?空っぽの器を満たすためになんでもいい、あれもこれも詰め込んで、なのに決して満たされることはなく、あふれるガラクタに埋もれてカラの心に泣く。本当にもとめているのは何?
箱をもっている。両手におさまるくらいの。幅広の、厚みのあるリボンがかけてある。
やめるを決める。やるをやる。今年の始まりの抱負。
今年の抱負。やめるを決める。やるをやる。今に向き合う。いま、をやる。
私はわたしの宇宙(ソラ)を読んでいい。わたしが感受するものが、いまのわたしの宇宙ソラ。誰かのための解説ではないから。それを自由に発信しても、わたしごと。似た周波数帯で感知するひとはわかるというだけ。宇宙ソラはだれもに同じようにそこにあり、どのように受けとってもただひとつであり、無数である。
満月ー月は太陽を写す鏡月は太陽の光を受けて輝く。つまり、反射する鏡。人生半分を折り返し、日々出会う出来事から感じること。仕事や街中で出会す人々とのやりとり。折り返す前は気に食わない、納得いかない、たとえそれが規則であっても、軽くあしらわれた、つっぱねられた、対応がむかつく、自分の機嫌が悪かったタイミングでそれ?などなど、、、まあまあ、あちこちで噛みついたり、吠えたり、チクチク刺したりしてきましたねぇ、、(汗)。折り返してみると、今度はそれを受けることが多くなりました。あぁ、やってきたことのツケを払っているのだ。あの時のあの人、ごめんなさい。と、今更ながらに思う。でも、だから、その時この人の気持ちも分かる。あの時どうしてほしかったのか?出来事が、あなたが、悪いのではない。わたしを分かってほしかった、寄り添ってほしかった、んだよね?目の前のこの人はあの時のわたし。折り返して、地点ごとに鏡に映る自分の姿のあちらとこちら。あの時癒されなかったわたしの心をいま癒しましょう。そうして元いた場所にもどるとしますか!
夢をみた。だれかの「夢」に乗ったのだ。自分ごとのように夢をみていた。でも、だれかの夢だった。だから、その夢はだれかに返すことにする。私は私の夢をみる。だれにも遠慮しない、がまんしない、自分の夢をみる。
↑ 画像はお借りしました…(出典元、控えておらず、、ごめんなさい💦)ある方のアドバイス。「貴族的な生き方」を目指しましょう。ハッ!と気づかされた言葉だった。目が覚めた。だから、目指す。以上。
ほんとうは何もいらないんだ。この空のように。ただこのホシにいるにはカタチがいるんだ。ひとつだけカタチにおさまりながら自由に身軽にいればいいのに満タンにしようともっともっととつめこむ。カタチを保とうとするのか、不安なのか、重くホシからはなれないためか。わたしだけがひとつ中にいればいい。あとはいらない。持たなくていい。スコーンとぬけて空高く。