ココロの足もとをすくわれそうなとき。

…… どうにもココロが立ち上がれない時、このままでは深淵に落ちていってしまいそうな時、ココロもアタマもいったん止める。肌で髪で、ただ自然を感じる。花の声を聞き、木のゆらぎに触れ、空の粒を吸い込み、大地と会話する。光が身体をすり抜け、影は静かに微笑む。ただただ、宇宙に溶け込み漂う。それでいい。

真の己と役割り。

忘れるな。この世界で果たしている"役割り"があっても、己の中にある、真の自分の創造性を。半分になって合わさって、半分になって合わさって、、、を繰り返し、つないできた螺旋の中にあるそのただ一つ。天と地をなんども行きつ戻りつしてなお、わすれないそのただ一つ。その創造性をいまこそ発揮させよ。そのまま継いでゆくのではなく、望みを叶えたかたちでバトンをわたせ。真の己をつなげてゆけ。

カガミにうつるものは。

カガミにうつるものは。このところ、身近な人や知人の、直接間接の言葉から、痛いところを突かれることがあった。しかし、それは、自分がいままで見ないことにしたり、逃げていたり、言い訳したりしていたことの現れで、普段ならかちん!と怒ったり、へこんだり、ごまかしたり、あきらめたりしていた。でも、今回はなんか違う感じ方、受け取り方が。言われて確かに痛いのだけど、そこにある一言が、確信をついていることに気づく。いつもなら攻撃されているか、他人事か、と感じていたが、実はそこに期待や応援があったり、見透かされている真実の姿を言われたり。そうか、目の前のその人は自分を映し出す鏡。痛い一言や態度は、自らが発しているもの。同じ言動を世界に対して表しているから、相手がそれを映しているのだ。相手を羨ましく思ったり、蔑んだり。なぜそこに引っかかるのか?相手からの言葉や態度に引っかかるものがあれば、自らをまず振り返れ。カチンとくるときは、同じものを発していないか?凹む時は、逃げたりごまかしたりしていないか?羨ましいときは、自分の夢や希望をあきらめていないか?蔑むときは、自分を大切にあつかっているか?波立つ感情にゆられても、ことばの風にあおられても、自分という小舟の舵は波にも風にもまっすぐたてて進んでいこう。かならず光にたどり着けるから。

もう大丈夫なのだよ。

それがないと不安な気がする。捨てないで、でも使っていなくて、ずっとそこにある。たくさんのモノ、モノ、モノ、、、。自分のカラダやココロの一部分な気がするんだよね。はりついてる思いがあること、知ってるから。でも、もう大丈夫。それ、なくても全然やっていけるから。手放して、必要ならこんどはいまの自分にふさわしい、あたらしいものにすればいい。そのときはもう、やみくもに手に入れないから。よく考えて、たいせつなひとつをえらぶから。そぎおとせ。手放せ。そのためこんだモノ、脂肪と同じ。自分を守る、脂肪と同じ。つるりん!と脱いでしまおう。お家の断捨離。

手放せ。

そこにあるもの、溜めているもの。そこにはりついているものはなんだ。怒り、悲しみ、淋しさ。それをその    "モノ" で埋めたんだよね。いっぱいあるね、よくこんなに溜めたよね。溜めて、しまって、収まってる。でも、なにか言いたげだよね。……モノたちの声。「あなたのきもちをうめたわたしたちを、そのままにしてるけど、あなたのココロはどうなの?まだ、わたしたちがひつようなの?使われないで、ただここにとどめられて、とじこめられている。そんななかまたちがどんどんふえて、いえのなかはパンパン。わたしたちは息もできない。みうごきもとれない。なにより、自由がない。わたしたちはあなたのココロを満たして解き放ったのではないの?もう自由になりましょう、おたがい。一瞬でもあなたのココロを満たしたのだから、十分にお役目は果たしたわ。もったいないなんておもわないで。あなたも出会ったときからは成長してる。わたしたちがなくても大丈夫。あなただけがそこにあれば、それだけでいい。そのためにわたしたちもチカラになれたのだから。たった一瞬でも、、、。だから、きもちよくわたしたちを、て・ば・な・し・て。」

それはなにをあらわしているのか?

ときどきあるよね。カチンとくること。ムッとすること。その一言が引っかかる。ココロがざわっとする。頭の中でずーっとくりかえされる。いわれた言葉と、応酬する自分の言葉。自家中毒。ちょっと待って。なんでそんなに気に触る?そこを考えてみようよ。なにかを投影してないか?自分にダメ出ししていること、認められたいと思っていること、誰かと比べてうらやましく思っていること、さみしいこと、かなしいこと、がまんしていること、やりたいこと、やめたいこと、うけいれたくないこと、、、、いろいろ。無意識の中に沈めたあれこれ。でも、あることは知ってるんだよね。それにチクチク、刺さるんだよね。それ、相手に、誰かにあたっても、ケンカしても、正当化の言い訳しても、グチってもなくならないよ。自分がそれを丁寧に扱ってないんだもん。あのとき、こうしてほしかった。こう言えばよかった。それ、ダメじゃないから。その時の自分は、その時最善を選んだんだ。ものすごく時間が経って、ようやく気付いただけ。そのチクチク刺さる出来事は、気づくきっかけをくれただけ。鏡になってみえている、拾ってほしいもう一人のわたし。手を伸ばして、引き上げて、いまの自分と一緒に始めればいい。なにも遅くはない。いつでも、むかしから、みらいも、ずっと知っていて、一緒にいるんだから。わたしはぜんぶわたし。見えること、聞こえること、起こること、それに感情が動いたら、鏡がつ...

とびこえていけ。

上書きされていないと気づく。このひとの頭の中の、わたしのイメージ、何年前の?むかし、こういったよね?あのとき、こうだったよね?それを持ち出して、今を語る。え?いまのわたし、ちがいますけど。かわったことに気づいてないの?いまのあの子、成長してるんだけど、まだ子どものままなの?なにを見ているんでしょう?大切な坊が変わってしまったことに気づかない、ゆばぁばか?その頭の中では、むかしのその場面そのセリフがずっとずっと繰り返してるんでしょうね。それ、くりかえしてるの、あなたですよ。わたしじゃない。そのくりかえしに引っかかっている感情、あなたの感情、よくみてごらん。それをすくいあげないと、おわらないよ。キズのついたレコードみたいに。あなたのスクリーンに投影されているのは映画の世界とおなじ。生身のわたしは、いまここにいる。あなたのイメージとは全く別人。現実みてよ、そのまま受け入れてみてよ。自分とはちがうことを解ろうよ。それは負けじゃないんだから。あなたがなんと言おうが、気にせずわたしはとびこえていけ。